お悔み
今年の3月は、目まぐるしい毎日だったのですが、その中で、最も衝撃的だったことについて、今日は書こうと思います。
書こうか書くまいか、書くべきか書かざるべきか、考えましたが、やはり、書こうと思います。
自分は今でも、あの時、きっと自分を見ていたであろう彼に向って、「じゃあ、また明日」と挨拶をしていたら、もしかしたら、こんなことにはならなかたんじゃないか?、また違う結果になっていたのではないだろうか?、と考えてしまうのです。
まさか、そんなことが。。。
年を取るにつれ、どうにもならい失敗なんてそうそうないと思うようになってきました。
子どもの頃は、例えば、誤って親が大事にしていた皿を割ってしまったなんてことが起こると、この世の終わりみたいに絶望的な気持ちになって、どうしよう?怒られる、、、とかグルグルしたものですが、大人になってみると、もちろんやらかしたことへの罪悪感はあるし、その後の対応の仕方が踏ん張りどころだなとは思いますが、そのこと自体はそこまでたいしたことではないと分かってきました。
仕事のミスやヘマは、その後のがんばりでカバーする機会があるだろうし、そもそも失敗というのは、出来ない・マズい・してはいけない等の方法・やり方・物事などが一つ分かった、ということで、失敗を失敗のままで終わらせるのか、失敗を次へのステップにするのかは自分次第だなと思っています。
しかし、やはり、世の中には、取り返しのつかないこと、ということがやはりあるのだなと、思い知らされました。
自分にとっては、これが初めてではなく、だからこそ余計に自分が腹立たしいのですが、本当にいくつになっても学習しない、というか、失ってみて改めて思い出す、というか、後悔先に立たずとは、本当によく言ったものだなと思います。
新しい朝を迎えられることは、当たり前ではないのだと。
新しい朝を迎えられたことは感謝すべきこと、今日為すべきことを行えることは、それだけで幸せなのだと。
親しくなったのは、ここ2ヶ月くらいでしたが、色んな話をしました、メールで。
もっとショスタコーヴィチの話を伺いたかったです。
名曲喫茶にも行ってみたかったですけど、仰っていたように居酒屋にも行けば良かったです。
動画で拝見した、チェロを弾いている時のとても楽しそうな顔、そして曲が終わった時の満足そうな、そして名残惜しそうな表情、最高でした。
生の演奏も聴いてみたかったし、自分の演奏も観に来て頂きたかったです。
残念です。
動揺しましたし、落ち込みました。
けど、泣いている場合じゃないなとも思いました。
泣く暇があったら、他にやることがあるだろうと。
だから、やります。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。合掌。