「微差が大差を生む」「神は細部に宿る」 ~バレエと意識と体幹~
9月のことですが、今年も小学3年生の甥っ子が通っている、バレエ教室の発表会を観に行って来ました。
昨年、とても感動したことは去年こちら「バレエと体幹」でも書かせて頂きました。
なので、今年もとても楽しみにして行ったのですが、う~む、なんと言いましょうか、昨年、初体験であまりにも圧倒的で素晴らしいホンモノものを観てしまったせいか、どシロウトのくせに目が肥えてしまったようで、正直、昨年の方が感動度が高かったです。
と言っても、それはゲストのプロダンサーさん達の話で、教室の生徒さんたちは、明らかに昨年より皆さん、上手になっていました。
全体的に安定感が増していまして、そのためか踊り全体にも伸びやかさが出ていました。
昨年は不安定だった、その場で片足立ちして何度もクルクル回転する技も危なげなく、きれいに出来ていました。
甥っ子も昨年に比べて舞台に出ている時間が長く、色々な新しい動きをしていましたが、カッコ良く決まっていました。
1年でこんなに上達するのだなと、子どもたちの成長の速さと確かさと、それを可能にした子どもたちの努力に感心しました。
また来年が楽しみです。
(^^)v
一方でゲストのプロダンサーさん達は何が残念だったかというと、回転の高さやキレ、躍動感、スピード感も昨年に比べるとちょっと見劣りするかなというのもあるのですが、そういった身体的能力を除いたとしても、最後のキメをグッと溜められるかであったり、指先から爪先へ掛けての神経の行き届き方であったり、たぶん、ほんのちょっとした意識の差みたいなものが全体の彩を褪せさせて見せるのではないかと思いました。
バレエのことを何も知らないシロウトが勝手なことを言っているわけですが、シロウトほど厳しい目を持っていると自分は思います。
それは自分が音楽をやっていて思うのですが、経験者や音楽好きな方や演奏者など音楽をやったことがある人は、たとえ失敗してもヘタクソでも、そこで何が起こっているのかが分かるので、考慮してくれますが、まったく音楽に関心がないシロウトさんは、失敗は失敗、ヘタクソはヘタクソでしかなく、事情を汲んで許してくれることはありません。
もちろん、好きか嫌いかもありますし、失敗しても面白い、ヘタクソだけど良い、ということもあるでしょう。
そこを含めて、それでもシロウトさんが一番厳しい目を持っていると常々自分は思っています。
昔、テレビの音楽番組にシャネルズ(後のラッツ&スター)が中継で出演し、彼らの代表曲『ランナウェイ』を演奏した際、ラッパの桑野信義氏が間奏のソロの出だしで音が出なかったことがあったそうです。
テレビの生中継でやらかしてしまったわけで、プロとしては大失態ですが、その現場が屋外で、えらい寒い中、中継が繋がるまで待機していたらしく、そんな状況で間奏に来るまで音出しも出来ず、楽器も冷えていたと思うし、まして金管楽器だし、それでいきなりのソロなのだから、そういうことが起こったとしても仕方ないと自分は思うのですが、おそらくテレビを観ていた一般視聴者の方々は、単純に「クワマンが間違えた」とだけ思ったのだろうなと思うのです。
そういうものですし、それで良いと思います。
厳しいですけど、そこをすべて分かったうえで、シロウトさんを納得させる演奏をするのがプロだと思うので。
そして、これはなにも演奏者やバレエダンサーに限った話ではなく、すべての職業に言えることだと思います。
サラリーマンはサラリーマンのプロだし、主婦は主婦のプロだし、もっと言うと、お母さんはお母さんのプロだし、大人の大多数は何かのプロだと思うので、皆がご自身のプロたるものに対してそういった意識を持つようになると、日本はもっと豊かになるんじゃないかと思っています。
話がだいぶ大きくなってしまいましたね。
(^^;
昨年と今年とバレエの発表会を観させて頂いて、今年は「惜しい!」と思ってしまったので、そこを考察してみました。
最初から完璧なんて無理だし、プロだからといって全員が同じようなスキルを身につけられるとも、全員がトップになれるとも思いません。
トップじゃない人たちがいるからトップの人が存在できるわけだし。
ただ、今日よりも明日、明日よりも明後日、より上のレベルを目指して絶賛邁進中だということが表現を通して伝われば、それを受け取る側も納得できるのではないかと。
そして、それはほんのちょっとした意識で、伝わるか伝わらないかが変わってくるのではないのかなと思うのです。
そしてさらに、その意識を具現化するには、体幹の安定が重要だと思うのです。
身体から心へアプローチ、さあ、皆さん、体幹チューニングをしましょう!
(^^)
ちなみに、「微差が大差を生む」「神は細部に宿る」、これはK先生から教わったお言葉です。